■ 私たちにできること
3月8日。そろそろ「コロナウイルス」という言葉にも字面にも、強いストレスを感じるようになってきた自分がおりますので、ここでは「COVID-19」と呼ぶことにします。
この事態において100%の正解、100%の正義はきっと存在しないし、どう表現しても必ず反対意見があると思うので、個人の意見を述べても仕方がないと思います。しかし、41×46という小さな演劇ユニットを率いる代表として、舞台表現に携わる者の端くれとして、「私たちにできること」をお伝えしておこうと思います。
私という人間はこれまで、四半世紀にわたってウェイター、バーテンダー、文化団体職員と、世の中に出てからずっと飲食業界と文化芸術に関わることで生きてきました。「楽しい食事、うまい酒、そして舞台バカたちとのアツい時間と日々、それ以外に大切なことがあるだろうか」と言っても過言でない、それが私の人生です。しかし、飲食にも芸術にも興味のない方にしてみれば、なんてムダで馬鹿げた生き方だろうと感じることでしょう。むしろそれは当然のことで、いろいろな考え方や価値観を持っている人がいるからこそ、誰ひとり同じではないからこそ人生は楽しいのだと思います。
ふだんの生活の中であれば「そんな違いがまた楽しい」と思えます。しかしいま、ふだんの生活をCOVID-19によって奪われた私たちは、そう思える心の余裕を無くしてしまいました。今回、COVID-19が世界規模でもたらしているパニックは、「感染すると死の可能性もゼロではない」という事実そのものよりも、この「私たちの日々から余裕を奪った」ダメージの方がはるかに大きいのではないでしょうか。状況的、精神的な余裕を国家規模で失ってしまったことが、日本でこの大きなパニックをもたらしている原因であるように思います。
ベストではないどころか普通でない、経験したこともない状況で判断をしなければならない。これにかかる精神的な負荷はとても大きいものだし、ましてやその判断によって多くの関係や経済面でのダメージが連鎖反応していって、誰かの人生を狂わせてしまう可能性があるとなると、さらにプレッシャーは増します。決断を下すほうも受け入れるほうもまったく余裕のない状況でやっているので、物事が好転するわけがありません。
不要不急の外出を控える要請も、緊急事態宣言も、それらに対する苦言や批判も、不謹慎を覚悟で言えば、すべて今さら遅いと思います。国も、県(私は北海道民なので道)も、市も町も村も、民を守る方策はもう無いに等しい。あとはもう、私たち一人ひとりが「かからない、うつさない工夫」をするよりほかないのではないかと思うのです。
本音を言えば「安倍てめえ、舞台人や飲食店の人間に死ねっつうのかクソ野郎」と思いますが、それももう遅い。すでにとてつもない数のコンサートやライヴ、舞台、イベントが中止になっていて、それにともなう損失は計り知れません。もはや閉店や廃業に追い込まれているお店や会社もあるでしょうし、宿泊業や観光業などではすでに解雇されてしまった人もいます。豪華客船なんて、夢のようなものから映画バイオハザードの象徴みたいなものへ、イメージが180度変わってしまいました。それらはすべて、COVID-19の脅威を最小限に抑えるためではあったのかもしれないけれど、代わりに背負うことになる経済ダメージや風評被害の脅威を、国を統べる立場にあるであろう誰かは、ちゃんと想像したのでしょうか。
かといって、決して擁護ではないけれど、もし私が総理大臣や知事や市長だったとして、正しい判断が下せる自信もまたないのです。なぜなら、身分も名前も一切公にならない安全な立場から、OBやら相談役やらスーパーバイザーやらと名乗るジイ様たちが、権威を振りかざして四六時中勝手なことを言ってきているだろうと想像したら、私がどんなに強い意志を持って臨んだとしても、考えの通りに物事は運ばないだろうと思うからです。現職の総理や知事や市長が「どんなに強い意志」をお持ちかどうかは、また別の話ですが。
館 宗武および演劇ユニット41×46としては、さしあたって公演の予定がありませんでした。結果として、経済的・時間的なダメージを被ることも、お客様にご迷惑をおかけする事態にも至らずに済んでいます。5年前のユニット旗揚げから数々の公演や活動を行ってきた中で、一昨年の夏に上演した『澱の檻』という作品は大きな賭けであり勝負であり、あらゆる要素において私たちのキャパシティをはるかに超えた取り組みでした。もし、そんな公演を控えた状況で今回のようなパニックに直面していたら…。自分の立場に置き換えて、時間をかけて、細部まで具体的に想像し、「たしかな痛みのイメージ」を持つことが大切だと私は思うのです。
アーティストの公演中止で生じる莫大な損害、その公演に参加する予定だった人のチケット代、旅費、宿泊費。中止せざるを得ない運営スタッフの悔しさ、数日かけて作ったステージを、本番なしでバラさなくてはならないスタッフの悲しさ。お客さんでいっぱいになるはずだったホテル、盛り上がるはずだった居酒屋、その従業員、責任者、オーナー。鳴り止まないキャンセルの電話、トイレットペーパーの入荷日の問い合せの電話。テレビで伝えるのは政府の後手後手の対応、それを批難しているようで何の意見も解決策も打ち出さないニュース、ワイドショー。それを観ている学校に行けない子ども、仕事に行けない母親、仕事を失いかねない父親。お葬式をあげられない家族、結婚式を挙げられなくなったカップル、罵声や苛立ちをぶつけられるドラッグストア店員。
どうか、まわりの誰かが置かれているであろう状況を、想像してみませんか。その状況で誰かが感じているであろう思いを想像して、寄り添ってみませんか。きっと誰もがあなたと同じように不安だし、疲れ切っているし、明日も見えない。マスクの配布と自粛の要請しかできない政府に腹を立てても、何も変わらない。では、どうすれば政府を、国を変えていけるのか。そこまで想像してみませんか。
「想像し、寄り添い、思うことでしか優れた演劇は作れない」と私たち41×46は考えています。そして、組織や会社も、まちも国も、世界ですらも、人と人が関わるものである以上、それは決して変わらないと。
いま私たちには作品を、公演をお届けすることがかないません。それに代わる手段として、演劇に携わる私たちの思いを、私たちが演劇を作るうえで大切にしていることを、こうして言葉にして皆さんへお伝えすることで、少しでも明日を変えていけたらと考えました。
皆さんを劇場へお招きできる時まで、私たちの情熱がこのCOVID-19による様々な被害を乗り越えて作品をカタチにできます日まで、どうか、いましばらくお待ちください。
演劇ユニット41×46 代表
館 宗武